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(無題)

 投稿者:よしえ  投稿日:2004年 1月28日(水)23時41分52秒
  卒業生に送る川柳を教えてください  
 

入れ花料

 投稿者:藤原一志メール  投稿日:2004年 1月28日(水)14時23分39秒
  古川柳の時代現在の投句料に当たる入れ花料はいくらだったのでしょうようか。
それは現在のお金にするといくらぐらいになりますか。
 

破調の許容範囲

 投稿者:百楽天  投稿日:2004年 1月24日(土)09時58分16秒
  最近の川柳作品には、古川柳のような五七五の定型からすれば破調も多くみられます。
また、俳句にも破調があり、無季のもさえあります。
川柳は前句付の付句から、俳句は俳諧の発句に由来するものですが、今は両者の違いがどこにあるのか。ジャンルとしてのはっきりした線引きはできないように思います。
作者がどこの結社に属するかで、破調の許容範囲や、川柳か俳句かも違ってくるのでしょうか。
 

遅くなりました。

 投稿者:一泉  投稿日:2003年12月10日(水)12時43分1秒
  高木様
ご丁寧な書きこみ、ありがとうございます。
遅くなりました。やっと、一部分ですが、公開することができました。
特に重要な、川柳関係から資料化しています。
初代・角恋坊の遺志を継いだ3代・震は、川柳に留まらない「総合芸術道場」の実践を行っており、その活動を一面からだけでは伝えきれません。この辺を正しく伝えるには、資料の分類整理と研究による体系化が必要そうです。
端的にいえば、川柳を中核とする創作をいかに人生に活かしていくかが、角恋坊の最後に震に託したメッセージです。
宗教が人を憎み合い、金銭の損得が判断基準になるような卑しい社会情勢の中で、ほんとうに必要な、人間のあり方を、既に包含しているようです。その代わり、草詩三代は、常に施す立場で、経済的には苦労したようです。でも、精神の富貴には、大きいものがあります。
わたしも、おおいにべB京させてもらっています。
 

ありがとうございます

 投稿者:一泉  投稿日:2003年11月22日(土)18時57分42秒
  草詩堂様
 ご丁寧な書き込みをありがとうございます。
 やっと、史料の一部をアップできました。二代、三代、四代の手で大切に守られてきたもので、震災と戦災、その後の盗難の被害を生き延びた貴重なものです。
 整理だけでなく保存の対策が必要なものもあり、これからの課題が山積ですが、分類、整理、研究のできた部分から、ネット公開だけでなく、活字としても残し、役立てたいと考えています。
 残念ながら、次男、三男系統の草詩堂は、受継ぐものがなくなってしまいましたが、震氏の作品には、初代・角恋坊の遺志が反映されていて、変貌しながらも、さいごまで父の示したものを追っていたという思いが感じられます。
 いま、また別の流れとして長男の家系で新しい草詩堂が興されたことを嬉しく思います。
 今後のご発展をお祈りいたします。
 

草詩堂資料保存公開について

 投稿者:草詩堂  投稿日:2003年11月19日(水)13時02分31秒
   草詩堂の資料の保存
 有難う御座います、不明だった物の
 所在が解りほっといたしました。
 これで草詩堂も、続ける決心が付きました。
 亡き父(久仙子)も母もまずは安心する事でしょう。
 今まで、これらの事が気にかかつて
 いまひとつ進めなかった処です。
 何れにしても、親子、兄弟の仲での事
 早くすっきりとしたいと思っていたのです。
 当家門人にも草詩堂の離反を心配させなくて済みます。
 私も又一歩より勉学に会の経営に励めます。
      メールにてお話すれば良い処ですが環境が整いません
      掲示板にて失礼いたします。  
                     草詩堂 高木
 

季節がら健康に後留意ください

 投稿者:草詩堂・高木  投稿日:2003年11月14日(金)16時26分37秒
   貴ホームページ拝見しました
 体調が悪いとの事、あまり無理を
 しない様に、お気を付けられます様に
 これからの、川柳に関わらず色々な場面で
 必要な人である貴殿、健康第一でがんばっつて
 下さい。 私もゆっくりとがんばっております。
  まず、お見舞いまで。           草詩堂 高木   冬の声聞く昼。   
 

川柳博物館リニューアル

 投稿者:一泉  投稿日:2003年11月13日(木)23時39分30秒
  「Web川柳博物館」がリニューアルしています。
<本館>は、古川柳から狂句までです。
今後は、
  <別館>新川柳関連
と、
  <ドクター川柳> 川柳の基礎知識と作句教室
のリニューアルにかかります。暫時更新です。

 体長悪い時期が長く、十分に対応できていません。
 川柳関係の作業では、草詩堂関連の史料の整理・保存作業に追われています。
 これも整理できしだい、<別館>にて公開します。
 今後ともよろしくお願いいたします。

http://www32.ocn.ne.jp/~senryu/

 

お元気ですか?

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2003年10月30日(木)19時59分26秒
  3ヶ月近くお姿が見えなかったので心配しておりました。  

新川柳

 投稿者:一泉  投稿日:2003年10月30日(木)12時39分1秒
  高校生様、はじめまして。
毎日確認する体制になく、遅れてゴメンナサイ。

「狂句」の後どうなったかということですが、一口では言い尽くせません。
明治30年代に阪井久良伎という人と井上剣花坊という人が当時のジャーナリズムの中心、新聞を媒介に狂句に対する排撃の烽火をあげ、初代川柳時代を見なおす運動が起こりました。
 そののち、単に文芸復興的運動から、詩川柳への展開を見せ、「短詩」や「寸句」「風俗詩」などと名を変えた作品の試みがあり、「新興川柳」運動を経てしだいに川柳界の内部に極ができはじめ、川上三太郎や前田雀郎といった六巨頭の登場によって個性のある川柳の流派が形成されました。
 今日は、その延長線上にありますが、六巨頭とその直接指導を受けた世代が亡くなりつつあり、また、新たな展開を迎える兆しがあります。
 丁度昨年は、阪井久良伎が新川柳の運動を起こして100年の記念の年で、川柳界では行事がありました。
 今日提出には間に合いませんでした、ゴメンナサイ。さらに詳細が必要であれば、メールをください。レクチャーします。
 

(無題)

 投稿者:高校生メール  投稿日:2003年10月29日(水)22時45分3秒
  今、学校で川柳について調べています。ちなみに明日提出です!『狂句』ののち、川柳の歴史はどうなったのですか?  

一泉さんへ

 投稿者:  投稿日:2003年 8月16日(土)11時19分41秒
  よく分かりました。お忙しい中、素早く応えていただき、どうもありがとうございました。  

天の川

 投稿者:nanakofujiメール  投稿日:2003年 8月11日(月)15時33分38秒
  天の川100人ほども人を寄せ
この句の意味を教えてください。
 

失敗

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2003年 8月 3日(日)01時52分17秒
  タイトル書くのを忘れました。
それと、
「玄関番にぴったりの死語と」は、間違い。
正しくは、
「玄関番にぴったりの仕事と」です。
 

(無題)

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2003年 8月 3日(日)01時48分43秒
  明和八年の「柳多留六」に、

「玄関番かつぶし箱をあてがはれ」

という句があるそうです。

この句の説明として、「かつぶし箱」とは鉋をつけた箱型の鰹節削り器だとし、別の句を引いて、女中は鼻息で花鰹を飛ばすから鰹節削りに向かない。玄関番にぴったりの死語と、とい説明があったそうです。

ところが江戸時代には、古鉋を茶臼にして鰹節を削ったという附句はあるものの、一般的には明治になっても鰹節は小刀で削っていました。
明治のおわりから大正のころには、大工道具の鉋も一般に(大工以外にも)普及し、箱型の鰹節削り器も現れています。

ところが冒頭掲げた句を、明和の頃から箱型の鰹節削り器があったという傍証にしている本もあります。

ボクは「かつぶし箱=贈答用の鰹節の入った箱」と解釈したのですが。こういうものは、当時はいくらでもありました。
主人に面会に来た客が、たとえば館にさえ入るのを拒否され、もってきた鰹節入りの箱を玄関番に渡して去ってしまった。玄関番は箱を持ってオロオロしているというシチュエーションです。

前句がないので、なんとも意味がわかりませんが、調べる手立てはあるでしょうか。
 

印章(ハンコ)に関する

 投稿者:まこちゃんメール  投稿日:2003年 7月30日(水)14時37分51秒
  ハンコに関する、川柳、諺などを探しています。教えてください・「判は首と引き換え」のような  

帰ってきました

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月26日(土)08時38分22秒
  おはようございます。
長い出張で、疲れてきました。宮仕えの辛いところです。
 さて、「明三義」などの印が、暦摺りの順番を表わすとは前に申上げますたが、その順番には法則があります。すなわち、その年の開キの第1回を「天」とし以降「満宮松竹梅仁義礼智信鶴亀」とするわけですが、1枚しか発行されないと無印になるようです。あらためて、記号をみると、
  明三義・・・は明和3年10月15日開キの句で、この時は、「義7」まで出されています。
  安七宮3・・は安永7年8月5日開キです。この年は閏年で、7月から開催されました。

 後に残しておいた1句についてご説明します。実は、次の元になった歌がうる覚えで、正確を期したかったものです。
   わがせこが来べき宵なりささがにの蜘蛛のおこなひ今宵しるしも
 という衣通姫(そとおりひめ)の歌は、愛しい男(允恭帝)が通ってくる兆しを蜘蛛の動きで占っていたわけですが、蜘蛛が出てこない日は、男も通ってこない(兆しということ)ので、別にやることもなく、ただ頭を掻いていたことだろうという句でしょう。「蜘蛛→衣通姫の歌」という連想ができれば簡単ですが、それが判らないと謎句になってしまいます。
 いずれにせよ、昔の川柳家?は、よく故事や古文学に通じていたものですね。
 

取り急ぎ古川柳の解釈です

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月22日(火)17時06分59秒
   まず、出典についてからご説明します。
 「明三義」や「安七宮3」というのは、川柳評前句附は、毎年、通常は八月五日の開キ(発表)を皮切に10日に一度開かれます。その続き番号として1回目は「天」、2回目は「満」、3回目は「宮」などという文字が当てられました。
 したがって、「明三義」は明和3年の「天満宮仁義礼知信…」の5回目の開キで発表された刷物(これをその形状から暦摺ともいいます)に載っているものということです。
 同様に、「安七宮3」は安永7年の3回目、この場合は、1回の開キに数枚の暦摺が出たと見えて、「3」はその3枚目ということになります。
 「三一6」は、ご存知の通り『柳多留』31篇の6丁のページに載っていることを示しています。
 
 さて、句ですが、出先で資料が手元にないので、解釈が怪しいのは後ほどということにします。
   蜘の出ぬ内はあたまをかきかき居 (明三義)
 は、帰ってから正確を期します。
 残りの二句は、比較的やさしい句です。
   たいまつのやうにいせやの爪はもえ(安七宮3)
 伊勢屋は、「火事、喧嘩、武士、伊勢屋、稲荷、犬の糞」という江戸でも数が多い名物のひとつで、古川柳で「伊勢屋」といえば「ケチ」の代名詞のようなものです。今日の伊勢屋さんがご覧になっていたら失礼します。あくまでも江戸っ子の楽屋落ちの決め事です。たとえば「下女」といったら「淫乱」、「田舎武士」といったら「浅黄裏」といった符合のようなものです。したがって、この句は、「爪に灯をともす」というコトバがありますが、節約の権化のような伊勢屋さんが、何かでふんぱつすることがあったのでしょう。松明のような大きな火で爪が燃えるようなことがあったのです。これは前句附であり、この句の前句にきっと照応した内容で完結するように作られたものでしょう。

 さいごの
   はこ入りをくどき初めは亥の日なり (三一6)
 「亥の日」は10月の初亥の日をいったもので、玄猪の祝いの日です。この日には、猪子を模した「亥の子餅」を食べて無病息災を祈ったようです。さて、江戸庶民にとっては、炬燵開きの日でもあります。据えられる炬燵は、炬燵蒲団で中は見えません。日頃、親の目の厳しい箱入り娘にちょっかいを出そうとしても難しかったわけですが、炬燵の設置を幸いに、同席したその箱入り娘へ炬燵の中からアタックをかけるという句です。私にはやや荒唐無稽に感じられます。本当の箱入りは、きっとこのような不埒な男と同じ炬燵に入るようなことは親が許さなかったでしょう…。でも、ありそうで、面白い句です。さて、おふざけが過ぎると
   母の手を握ってこたつ仕舞われる
 なんて、とんでもないものを握ってしまうことになるかもしれません。

 取り急ぎ、2句のみの解釈で。
 

意味を教えてください

 投稿者:  投稿日:2003年 7月22日(火)10時00分52秒
  これらの川柳についてご存知の方がいらっしゃったら、意味を教えてください。初めの2つの川柳については出典の解説もしていただけると有難く存じます。よろしくお願いします。
蜘の出ぬ内はあたまをかきかき居 (明三義
たいまつのやうにいせやの爪はもえ (安七宮3)
はこ入りをくどき初めは亥の日なり (三一6)
 

オ恥かしい・・・

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月13日(日)20時28分57秒
  打ちっぱなしの掲示板書き込みとはいへ、毎回、誤植があるようで、お恥ずかしい限りです。
  同じ形式でも川柳都は→同じ形式でも川柳とは
  五台目→五代目
等、訂正します。読者諸兄におかれましては、適宜、お笑いの上、訂正して読み進みいただければ幸いです。
 

前句付と川柳

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月13日(日)20時18分17秒
   さざみ様、はじめまして。
 こんばんは。
 其角に源吾(源五)ですか・・・。私も忠臣蔵は大好きです。その通りです。前句に対し次の句を付け合うのが前句附で、これは俳諧の修練のひとつの方法でした。
 これが、時代が進むに連れて、俳諧の修練という枠を越えてしまい、前句附そのものが目的化し、専門の前句附点者(集句より秀句を撰ぶ人)が現れ、しだいに興行化されていったものです。
 初代川柳こと緑亭川柳と名乗った点者もその一人でした。
 ところが、川柳が選ぶ前句附作品は、当時の他の点者選んだものより面白く、人情味に溢れ、特に『誹風柳多留』が守ッパされてからは、さらにその名声を轟かせました。
 ひとの口々に「川柳が点(選)の句は云々」といった評判や、当時の読み物の中などにも「川柳が・・・」と引用されるなど、川柳が選んだ前句附作品を特別視するようすが伺えます。
 したがって、川柳が選んだ前句附を「川柳」と略して呼ぶようになったもので、他の点者の前句附は、同じ形式でも川柳都はよびません。
 特に、「川柳」という文芸名称が誕生したのは明治以降で、初代川柳没後は、二代、三代・・・と川柳を名乗る人が生れましたが、四代目からは「俳風狂句」と名称が変わり、五台目は「柳風狂句」と改称、昭和になっても十三代目までその伝統は続きました。
 柳風狂句にたいし、川柳革新をとなえた明治の阪井久良伎らによって、初代川柳の遺徳と初期の気分に立ち返ろうという一種の文芸復興運動により「狂句」にたいし「川柳」の名が明確化していったものです。
 今年は江戸開府400年の記念すべき年ですが、川柳が立机(選者となる)から246年で、2007年には、250周年の記念すべき年を迎えます。

 川柳家は、こぞって2007年の記念すべき年に向け、今日の川柳発展を慶び、初代を敬慕する記念事業を行いたいものです。
 

前句付と川柳

 投稿者:さざみ  投稿日:2003年 7月13日(日)19時15分23秒
  はじめまして。
私はサラリーマン川柳しか知りませんのでよろしく。
「川柳」と呼ばれるようになったのはいつごろからですか?
前句付は、両国橋で宝井其角と大高源五がやったようなものですね。
川柳とはどこで区別すればいいのですか?
 

一番古い川柳

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月11日(金)12時39分37秒
  こんにちは。
今日の川柳のおおもとがはじまったのは、宝暦7年(1757)のことで、前句付興行はこの年の8月から始まり、これが「川柳」と呼ばれるようになる文芸の濫觴です。
『柳多留』初篇が出版されるのは、8年後の明和2年(1765)であります。この中にも、宝暦7年の句が載せられていますが、その場合の表記も「樽初」のようになり、明和2年の出版された本の巻数で表されます。岩波文庫の5冊本「柳多留」では、注として暦摺に発表された年代も記されていますので、何時の作品であるかをさらに詳しく見ることができます。

したがって、「安永4年頃」が一番古いのではなく、それよりおよそ18年も前から、川柳が作られていたことになります。
 

ありがとうございました

 投稿者:sonoko  投稿日:2003年 7月11日(金)02時59分1秒
  ご親切にありがとうございました。
そうすると、『誹風柳多留』に載っている川柳は安永4年頃のが一番古いということでしょうか?
 

SONOKOさんへ

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月 7日(月)22時01分36秒
  はじめまして。
 江戸時代の川柳は、主に『誹風柳多留』という作品集で残っています。これは、10日に一度発表された入選句の刷り物「暦摺り」からさらに選抜されたもので、優秀句といえるでしょう。
 「樽一〇」は『誹風柳多留』という本の10篇に載っていますよ・・・という印です。ちなみに『柳多留』10篇は安永4年の刊行です。
 
 柳多留は初代川柳の時代に24篇まで刊行されました。古川柳とよばれるのは、ほぼこれまでで、以降は、中間期を経て四世川柳の時代から「狂句」という名が与えられます。柳多留は、江戸の末期まで刊行され167篇が確認されています。
 川柳の作者名がはじめて登場するのは、柳多留の九篇からですが、半分は景品目当ての前句附興行ということもあり、匿名性が川柳の特徴でもありました。多くの場合、作者名が解っていても、「樽23-5」などと書かれる事があります。「23-5」は二三篇の5丁(5枚目のページということ)を意味します。
 これは、重要なことです。この印を書いておくことが、川柳の出典を明確にする上で、検索にも確認にも便利になります。
 
 

教えて下さい

 投稿者:sonokoメール  投稿日:2003年 7月 7日(月)09時25分7秒
  江戸川柳の作品の後に(樽一〇)とか書いてますけど、あれは作者ですか。
あれで時代がわかるのでしょうか。
 

ありがとうございました

 投稿者:獏眠メール  投稿日:2003年 7月 2日(水)22時57分6秒
   尾藤一泉様
 時事川柳に関するコメントありがとうございました。
時事川柳とは奧の深いものだと改めて感じています。
 

時事川柳のページ

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月 2日(水)21時21分34秒
  時事川柳のページがリンク切れになっていました。
修正しましたのでどうぞご覧ください。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/1993/zizi2.html

 

時事句について

 投稿者:一泉  投稿日:2003年 7月 2日(水)18時48分23秒
   はじめまして。
 時事句に限らず、川柳のような短詩型では、コトバがすべてではありません。
 作品を作る「作者」がいて、その作品を選考する「選者」が存在し、それを読む「鑑賞者」がいるという関係の中で、「作者」「選者」「鑑賞者」は、それぞれのレベルでその作業を行います。 少し詳しくみると、作者は、その力量の中で作ればいいわけで、場合によっては、作りっぱなしの無責任も許されます。
 選者は、作品を吟味し、集句の中から秀逸句を選抜し、また選句経験の中から類想を避けることもあるでしょう。作者の力量とは別に、選者は選者の評価基準によって選択します。この時、作者の力量より選者の選句眼が低ければ、良い句も落とされてしまう可能性があります。特に、時事句では、社会事象をいかに選者が気に掛けているかが時事川柳選者の重要なポイントとなり、政治経済はもちろん、ワイドショー的な内容まで熟知している必要があります。時事選者のたいへんなところです。
 鑑賞者もまた、自分の目線の高さで作品に接します。時事句の場合(もちろん一般川柳でもいえますが…)、選者同様、社会事象に疎い場合には、作品を理解できないかもしれません。
 
 したがって、「何を詠んだ句かが分かるとともに、上手く詠んだものだと膝を叩くような句」が良い句であるという保証はありません。あくまでも、集句の中からの秀逸を選ぶわけで、集句と言う集合のレベルが発表される作品のレベルを決めてしまいます。

 時事川柳にとって大切なのは、「スピード」であり、新聞の見出しを追っているようでは、どうしても遅くなります。
 時々刻々変化する事象から汲み取られる未来への予感のようなものが感じられたとき、時事句として優れた作品が生れるのではないでしょうか。
   エノケンの笑いにつづく暗い日々
 でしたでしょうか、これは、アメリカとの戦争にまっしぐらに進む時代を予感させる句で、今日振り返っても、世相をひしひしと感じます。また、
   アメリカの時計が止まる午後3時
 という句も、日本で流れた同時多発テロのニュースとほぼ同時に投函された時事川柳です。時事作家は、本能的に事の重大性を感じ、作品に結晶化できるようです。
 その後、多くのこの事件に関する句が生れましたが、「アメリカの時計が止まる」というフレーズに勝る句を、私は知りません。

 この句を、「同時多発テロを詠んだもの」などと注釈しなければ判らないようであれば、時事的感覚がないということでしょう。作者は、自作に回折をつける必要はないし、選者も選句に注釈など無用です。
 作品自体の発するオーラが良い句かどうかを決めるでしょう。

 私がいいと思う句は、いろいろな観点がありますが、こと時事川柳ということであれば、その時代の気分を十分に乗せた時代に対する「共感およびまたは批判」を含んだ句ということでしょうか。
 

時事川柳について

 投稿者:獏眠メール  投稿日:2003年 7月 1日(火)21時42分34秒
   一泉様
 初めて、書き込みをさせて頂きます。
 とある時事川柳の選者(関東の方)が「ちょっとひねった句は、選者のひとこと注釈を参照すれば分かるはずです。」と仰っています。関東風の読み込まない句で、時事「課題」が注釈を見なければ分からない句が佳句なのでしょうか?私が川柳マガジンで三柳先生の選を見る限り、時事川柳の佳句は、その句を読んだだけで、何を詠んだ句かが分かるとともに、上手く詠んだものだと膝を叩くような句が佳句だと思っているのですが、一泉様のお考えを教えて下さい。
 

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